html1

自転車 世界一周への軌跡

どうバカ藩士が自転車で旅にでる!!

自転車ベトナム縦断 その後

ベトナム縦断をしたのは2020年3月

今は12月 年末になってようやく重い腰をあげることとなる。

まず縦断直前の心境から

「こわい」

この一言につきます。
Facebookの日本とベトナムのグループで自転車でベトナム縦断します!と投稿した。
それに対するコメントですごく恐くなった。

ベトナムのバイクは非常に危険。自転車なんて無謀だ」
「バイク運転手はこちらの足を踏んででも割り込んでこようとする」
「事故るだけならラッキー。知人は交通事故で死んだ」

のようなコメントたちだった。
もちろんベトナムの交通事情は理解していたつもりだった。間違いなく日本より危険だと。
しかし、現地に住む人々からの言葉が重くのしかかった。
正直、当日は日本で数人の感染症数だったコロナウイルスがもっと蔓延して、
(飛行機が飛ばなければいいのに)なんて思ったほどだった。なんでベトナムにしたんだろうか。なんて

よくある話ではこわいけどワクワクもあるだとか言うだろうがそういう気持ちは限りなく0に近くまで落ち込んだ。

さらに直前に輪行の連絡と称して、静岡から名古屋までを走ったり、琵琶湖を走ったりした時、なんだから楽しめない自分がいた。ベトナムに対する不安とは全く別の感情として自転車旅をしていることに対する以前ほどの充実感のようなものが感じられなかった。

ベトナムに行こうと思ったきっかけである水曜どうでしょうの原付ベトナム縦断を何度も見た。彼らができたんだから僕にもできる。なんていう風に思わなかったが、無事に達成する可能性を感じることはできた。


スポンサーを集めたのだから行かなくてはならない。本末転倒な全く前向きでない気持ちのまま出発の日2.27を迎えた

関空で宮田に行きたくねぇと言っていたのを覚えている。しかし、空港内の本屋でベトナム語を覚えてみたり、冗談として行きたくねぇと言っているところもあった。
・以前からの夢である自転車世界一周の第一歩となるんだ。
ベトナム縦断した俺ってカッコいい。
・冒険に出るまえはみんな恐怖を感じるもんだ
僕を支えていたものはこれぐらいだったろうか。

翌朝、ハノイに到着した。
「来ちゃったね、やらないといけなくなったね」と話した。

ビクビクしながら自転車を組み立て
ハノイ市街を目指した。

海外を走っているということ、バイクの群に自転車で突っ込んでいくこと、ビビりながらもすごい興奮状態にあった。

ハノイ市街に着いて、同志社校友会の方とお会いした。ベトナムのことをいろいろ聞いた。警官のランクによっては賄賂を払わないとどうしようもないので、そのランクの見極め方など。
しかし、彼らは自転車であることに対して決して悲観的なことを言わなかった。ベトナム全土の魅力をじっくり見ていけて羨ましいと言うほどだった。

ハノイの夜を案内してもらって1日走ってみて自信がついた。
案内してくれた人はバイクの群に臆することなく歩いて横断歩道でもなんでもないところを堂々と歩いていく。その異様な姿(赤信号の国道を歩いて渡るようなもの)に面白くなってついていった。意外や意外。全く事故らない。事故る雰囲気すらないし、迷惑がられる感じもしない。みんながみんな自分勝手なので自分も自分勝手をしてもなんの問題もない。お利口に道を譲ってくれるのを待って安全を確認してから渡るなんて日本の常識は通じない。まるで主張しないと存在しないというような。
堂々としていれば大丈夫らしい。逆に急に走ったり変な動きをすると危ない。

自転車で走っていても、堂々と走っていれば問題ない。トラックもバイクも反対車線にでることをなんとも思っていないので、十分にスペースをあけて追い抜いてくれる。これはホーチミンまでいけるぞ!

交通事情に対する不安はある程度解消され、一週間ほどがたった。

そこからは次の問題がでてきた
暑さだ。

とにかくめちゃくちゃ暑い。

暑いというのはもちろん辛いが、辛いのはそれだけではなかった。
日本のようにコンビニはどこにでもあるわけではない。涼む場所がないし、冷たい飲み物を飲めない。お店を選ばなければ、コーヒーやフォーを食べることはできるが、僕たちはできるだけキレイなお店を選んでいたのでなかなか補給がとれない。
前日にスーパーで買ったオレオではもたないので、毎日ハンガーノックだった。

後半はこの「暑さと補給」の問題を抱えていた。
あまりの辛さに思わず日本に帰りたいと連絡をとっていた。多くの大人を巻き込んでいるんだから帰ってくるなと言われた。いや、言ってくれた。あくまで個人的な旅行だったら僕は途中で止めていただろう。コロナを言い訳にすることはいくらでもできたのだから。どんなちっちゃな空港でもGoogleで発見すると、こっから帰れるかな~なんて話した。冗談と本気がまじっていた

結局最後まで暑さと補給問題をクリアすることはできず、ベトナム縦断は終わった。

ホーチミンのホテルについたときは達成感よりも
明日からこんな暑い中走らなくていいんだ!
という感情だった。

帰国後はベトナムといえば暑い、辛いという感想が一番に出てきていた。
あんな辛いことをするなら自転車世界一周なんて本当にしたいのだろうか。夢の一つがなくなってしまった。そう思いながらコロナ自粛でずっと家に居て心はどんどん荒んでいく。
さらに別件でショッキングなことがあり、向かうべき目標がなくなった。

別のことを考えよう。就活のネタのため。という思いから自転車で北海道から長崎まで走ってみたりした。

そんな思いで走っても楽しいわけがなかった。
でもそんな中でも気づいたことがある。

先のことなんて考えたってどうなるか分からない。

元々はオアシスのwhateverの歌詞にこんなのがある

「生きたいように生きていく どんな人生になるか
そんなことを考えるのはもうやめた」

人生山あり谷ありというが、旅はそれを縮小したものだ。タイヤに釘が刺さっても、なんとかなるし、先には楽しいことも待っている。

そして元来僕は先の人生(近い未来)を考えがちだ。(先の近い未来を考えるすぎて辛くなるときがある。ベトナムでタイヤに穴があいたとき、自転車屋さんに行ってもタイヤは見つからない。なんとでもなるそんなことに焦ってしまうのだ。だから夢の一つぜ一つを見失って気持ちが荒むのだ)高校生のころからスポンサーをつけて休学して自転車世界一周するつもりだった。スポンサーをつけるにあたって知名度のある大学の方がいいだろう、ということで同志社大学に頑張って入った。でもいま休学して世界一周なんてする気もない。旅路になにがあるか分からないように、人生どうなるか分からない。だって小学生のときはサッカーになりたい思ってたもの

だから今したいことをして生きたいように生きていった方がいい。

死ぬまでに自転車世界一周するかもしれないし、しないかもしれない。
世界中の観光地に行きたい気持ちはあるが、自転車である必要はあるのか考えることになるだろう。

しかし、今、俺がしたいことは

自転車でエアーズロックロック ウルルを見に行くことだ

オーストラリア縦断にこだわるのか、極力飛行機の力を借りるのかはまだ分からない。でもあそこに行きたい。




ベトナム縦断を行きたくないだの暑いだの辛いだの言ってきましたが、楽しいこともありました。

行きたくないだなんてスポンサー様に対して失礼極まりない。たいして宣伝もできてないし、本当に申し訳ございません。
それでもね、ようやく一つ結果が出せたかもしれません。昨日、自分もあなたのように世界を自転車で旅したいというメッセージをいただきました。誰かの夢を応援したいということで行ったベトナム縦断の成果だと思います。皆さま方の支援が彼の大きな夢を応援する一助となりました。本当にありがとうございました。

面白いと思ったらどうかポチッと!! にほんブログ村 旅行ブログ 学生世界一周へ
にほんブログ村 にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(自転車)へ
にほんブログ村 にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村